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2009.06.20

厄払い(やくばらい) 落語

いまはすたれた「お払い」をネタにした噺です。興味津々。

頭が年中正月の与太郎。
何をやらせてもダメなので、伯父さん夫婦の悩みの種。

当人に働く気がまるでないのだから、しかたがない。

お袋を泣かしちゃいけないと説教し、
今夜は大晦日だから、厄払いを言い立てて回って、
豆とお銭をもらってこいと言う。

小遣いは別にやるから、売上げはお袋に渡すよう言い聞かせ、
厄落としのセリフを教える。

「あーらめでたいなめでたいな、
今晩今宵のご祝儀に、めでたきことにて払おうなら、
まず一夜明ければ元朝の、門(かど)に松竹、注連(しめ)飾り、
床に橙鏡餅、蓬莱山に舞い遊ぶ、
鶴は千年、亀は万年、東方朔(とうぼうさく)は八千歳、浦島太郎は三千年、
三浦の大助百六ツ、この三長年が集まりて、
酒盛りをいたす折からに、悪魔外道が飛んで出で、
妨げなさんとするところ、この厄払いがかいつかみ、
西の海へと思えども、蓬莱山のことなれば、
須弥山(すみせん)の方へ、さらありさらり」
というものだが、
伯父さんの後について練習しても
文句が覚えられないので、紙に書いてもらって出かける。

表通りで
「ええ、こんばんは」
「何だい」
「厄払いでござんす」
「もう払ったよ」
「もう一ぺん払いなさい」
「何を言やがる!」

別の厄払いに会ったので
「おいらも連れってくれ」
「てめえを連れてっても商売にならねえ」
「おまえが厄ウ払って、おいらが銭と豆をもらう」

追っ払われて
「えー、厄払いのデコデコにめでたいの」
とがなって歩くと、おもしろい厄払いだと、
ある商家に呼び入れられる。

前払いで催促し、おひねりをもらうと、開けてみて
「何だい、一銭五厘か。やっぱりふところが苦しいか」
「変なこと言っちゃいけない」

もらった豆をポリポリかじり、茶を飲んで
「どうも、さいならッ」
「おまえは何しに来たんだ」
とあきれられ、ようやく「仕事」を思い出す。

表戸を閉めさせて「原稿」を読みだすが、
つっかえつっかえではかどらない。

「あらあらあら、荒布、あらめうでたいな。あら、めでたいなく」
「おい、めでたくなくちゃいけない」
「くの字が大きいんだ。鶴は十年」
「鶴は千年だろ」
「鶴の孫」
「それだって千年だ」
「あ、チョンが隠れてた。鶴は千年。亀は……あの、少々うかがいます」
「どなたで?」
「厄払いで」
「まだいやがった。何だ」
「向こうの酒屋は、何といいます」
「萬屋だよ」
「ええ、亀はよろず年。東方」

ここまで読むと、与太郎、めんどうくさくなって逃げ出した。

「おい、表が静かになった。開けてみな」
「へい。あっ、だんな、厄払いが逃げていきます」
「逃げていく? そういや、いま逃亡(=東方)と言ってた」

【うんちく】

「黒門町」の隠れ十八番

原話は不詳で、文化年間(1804~18)から
口演されてきました。

東西ともに演じられますが、上方の方は
どちらかというとごく軽い扱いで、厄払いのセリフを
ダジャレでもじるだけのもの。

オチは「よっく挟みまひょ」で、「厄払いまひょ」の地口です。

明治34年の四代目柳亭左楽(「松竹梅」参照)の速記では、
「とうほうさく」のくの字が「く」か「ま」か読めず、
「とうほうさま、とうほうさく」とうなっていると

客「弘法(こうぼう)さまの厄除けのようだ」
与太郎「百よけいにもらやあ、オレの小遣いになる」

と、ダジャレの連続でサゲています。

昭和期では、たまに八代目桂文楽が機嫌よく演じ、
これも隠れた十八番の一つでした。

文楽没後は、故・三笑亭夢楽も得意にしました。
現在、若手も結構手掛けていますが、音源は文楽、夢楽のほか
古くは初代桂春団治のレコードがあり、
現・米朝、小三治もCDに入れています。

一年を五日で暮らす厄払い その1

古くは節分だけの営業でしたが、文化元(1804)年以後は
正月六日と十四日、旧暦十一月の冬至、大晦日と、年に
計五回、夜に廻ってくるようになりました。

この噺では、大晦日の設定です。

古くは、厄年の者が厄を落すため、個人個人で
やるものでしたが、次第に横着になり、代行業が
成り立つようになったわけです。

もっとも、個人でする厄落しがまったくなくなった
わけではなく、人型に切り抜いた紙で全身をなで、
川へ流す、また、大晦日にふんどしに百文をくくり、
拾った者に自分の一年分の厄を背負わせるといった
奇習もありました。

要は、フンドシが包んでいる部分は、体中でもっとも
男の厄と業がたまっているから、というわけです。

一年を五日で暮らす厄払い その2

江戸の厄落しは「おん厄払いましょう厄落し」
と、唄うように町々を流し、それが前口上になっています。

文句は京阪と江戸では多少異なり、江戸でも毎年、
また節季ごとに変えて工夫しました。

厄落しの祝詞は、元々平安時代に源を発する
厄除けの呪文・追儺祭文(ついなさいもん)からきたとか。

前口上で家々の気を引いて、呼び込まれると
門付けで縁起のいい七五調の祝詞を並べます。

いずれも、「あーらめでたいなめでたいな」で始まり、
終わりに、「西の海とは思えども、東の海へさらーり」
の決まり文句で、厄を江戸湾に捨て流して締めます。

祝儀を余計はずむと、役者尽くし、廓尽くしなど、
スペシャルヴァージョンを披露することもありました。

こうなると縁起ものというより、
万歳同様、一種の芸能、エンターテイメントでしょう。

祝儀は、江戸では十二文、明治では一銭から二銭をおひねりで
与え、節分には、それに主人の年の数に一つ加えた煎り豆を、
他の節季には餅を添えてやるならわしでした。

随筆家・仲田定之助著「明治商売往来」に言及がありますが、
1888(明治21)年生まれの仲田氏でさえ、記憶が定かでないと
述べているので、おそらく明治30年代終わりには、
もういなくなっていたのでしょう。

こいつぁ春から……

歌舞伎で、黙阿弥の世話狂言「三人吉三」第二幕
大川端の場の「厄落し」のセリフは有名です。

夜鷹のおとせが、前夜の客で木屋の手代・十三郎が
置き忘れた百両の金包みを持って、大川端を
うろうろしているところを、親切ごかしで
道を教えた女装の盗賊・お嬢吉三に金を奪われ、
川に突き落とされます。ここで七五調の名セリフ。

月もおぼろに白魚の かがりも霞む春の空
冷てえ風もほろ酔いに 心持よくうかうかと
浮かれがらすのただ一羽 ねぐらへ帰る川端で
棹の雫か濡れ手で粟 思いがけなく手に入る百両

懐の財布を出し、にんまりしたところで、
「おん厄払いましょう厄落し」と、厄払いの口上の声。

ほんに今夜は節分か 西の海より川の中
落ちた夜鷹は厄落し 豆沢山に一文の 銭と違って金包み
こいつぁ春から(音羽屋!)縁起がいいわえ

「西の海」の厄払いの決まり文句、豆と一文銭という
ご祝儀の習慣がちゃんと読み込まれた、心憎さです。

 怪人・東方朔

東方朔(B.C.154-)は中国・前漢の人。

西王母(仙人)の、三千年に一度実る桃を三個も
盗み食いし、人類史上ただ一人、不老不死の体になった人。

李白の詩でその超人ぶりを称えられ、能「東方朔」では
仙人として登場します。

漢の武帝に仕え、知略縦横、また万能の天才、
漫談の祖としても知られました。

B.C.92年、62歳で死んだと見せ掛け、以後仙人業に専念。
2152歳の今も、もちろんまだご健在のはずです。

ただし、探し出して桃の在り処を吐かせようとしても
次に実るのはまだ千年も先ですので、ムダでしょう。

三浦の大助百八つ

平安末期の武将・三浦義明(1092-1180)のこと。

相模の有力豪族・三浦氏の総帥で、治承2(1178)年、
源頼朝の挙兵に応じましたが、石橋山の合戦で
頼朝が敗北後、居城の衣笠城に篭城。

一族の主力を安房に落とし、自らは敵勢を引き受け、
城を枕に壮絶な討死を遂げました。

実際には88歳までしか生きませんでしたが、
古来まれな長寿者として、誇張して伝承され、
「三浦大助」として登場する歌舞伎「石切梶原」では
106歳とされています。

なお、厄払いでは「みうらのおおすけ」と発音されます。

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