« よいよい蕎麦(よいよいそば) 落語 | トップページ | ライオン 落語 »

2009.06.28

淀五郎(よどごろう) 落語

実話が基だとか。「四段目」「中村仲蔵」と同様、忠臣蔵いじりの噺です。

ある年の暮れ。

「渋団」といわれた名人、市川団蔵を座頭に、
市村座で「仮名手本忠臣蔵」を上演することになった。

由良之助と師直の二役は座頭役で決まりだが、
塩屋判官役の沢村宗十郎が病気で倒れ、
代役を立てなければならない。

団蔵、鶴の一声で
「紀伊国屋(宗十郎)の弟子の淀五郎にさせねえ」

その淀五郎は芝居茶屋の息子で、
相中(あいちゅう)といわれる下回り役者。

判官の大役をさせられる身分ではない。
そこで急遽、当人を名題に抜擢する。

淀五郎、降って沸いた幸運に大張りきり。

いよいよ初日。

三段目のけんか場までなんとか無事に済み、
見せ場の四段目・判官切腹の場になった。

淀五郎扮する判官が浅黄の裃、
白の死装束で切腹の場へ。

本来なら判官が、小姓の力弥に
「由良之助は」
「いまだ参上つかまつりません」
「存生の対面せで、残念なと伝えよ」
と、悲壮なセリフと共に、九寸五分を腹に突き立て、
それを合図に花道からバタバタと、
団蔵扮する城代家老・大星由良之助が現れ、
舞台中央に来て「御前」「由良之助か、待ちかねた」
となるはずだが、団蔵
「なっちゃいないね。役者も長くやってると、
こういう下手くその相手をしなきゃならねえ。嫌だ嫌だ」
と、そのまま花道で動かない。

幕が閉まってから、恐る恐る団蔵に尋ねると
「あれじゃ、行きたいが行かれないね。あの腹の切り方はなんだい?」
「どういうふうに切りましたらよろしいんで?」
「そうさな、本当に切ってもらおうかね」
「死んじまいますが」
「下手な役者ァ、死んでもらった方がいい」

帰宅して工夫したが、翌日も同じ。

こうなると淀五郎、つくづく嫌になり
「そうだ、本当に腹ァ切れというんだから、切ってやろう。
その代わり、皮肉な三河屋(団蔵)も生かしちゃおかねえ」

物騒な決心をして、隣の中村座の前を通ると、
日ごろ世話になっている、これも当時名人の中村仲蔵の評判で持ちきり。

どうせ明日は死ぬ身だから、舞鶴屋(仲蔵)の親方にもあいさつしておこうと、
その足で仲蔵を訪ねる。

仲蔵、淀五郎の顔が真っ青で、
おまけに芝居がまだ二日目というのに
「明日から西の旅に出ます」
などと妙なことを言うので、問いただすとかくかくしかじか。
悪いところを直してやろうと、その場で切腹の型をやらせ、
「あたしが三河屋でも、これでは側に行かないよ」
と、苦笑。

おまえさんの判官は、認められたいという淀五郎自身の欲が出ていて、
五万三千石の大名の無念さが伝わらない、
また、判官が刀を腹に当てるとき、
膝頭から手を下ろすと品がないなど、
心、型の両面から親切にアドバイスし、励まして帰す。

翌日、三段目が済むと団蔵が驚いた。

「あの野郎。どうして急にああもよくなったか。
おらあ、本当に斬られるかと思った」

こうなると四段目が楽しみになる。
出になって、花道から見ると
「うーん、いい。こりゃあ、淀五郎だけの知恵じゃねえな。
あ、秀鶴(仲蔵)に聞いたか」

ツツツと近寄って
「御前」

淀五郎、花道を見るといないから、
今日はでてもこないかとがっかり。

それでも声がしたようだがと見回すと、傍に来ている。
「おお、待ちかねたァ」

【うんちく】

円生、正蔵、志ん生……百花繚乱1

原話は不詳で、実話を基にしたといわれます。
明治の四代目橘家円喬以来、基本的な演出は
変っていません。

オチがあるので、厳密には人情噺とは言えませんが
芸道ものの大ネタで、戦後では八代目林家正蔵、
六代目三遊亭円生、五代目古今亭志ん生が競演。

円生では、仲蔵が淀五郎に注意する場面が、
微に入り細をうがって詳しいのが特色です。

正蔵の速記では省かれていますが、円生に倣って
判官の唇に青黛を塗り、瀕死の形相を出すようにと
注意を入れる演者が多くなっています。

また、サゲの後正蔵は「こりゃ本当に待ちかね
ました」とダメを押しましたが、円生は
ムダとして省いています。

円生、正蔵、志ん生……百花繚乱2

志ん生も円生のやり方とほぼ同じでしたが、
詳細すぎる説明をカットし、
人情噺のエキスを保ちながら、
軽快なテンポで十八番の一つとしました。

その下の世代でも、円楽、故・志ん朝、
小朝ら、ベテランから中堅、若手に至るまで
多くの演者に高座に掛けられています。

八代目正蔵の演出は、現在、門下の八光亭春輔が
もっとも忠実に継承しています。

イジワル団蔵は何代目?

「渋団」と噺の中で説明されますが、歴代の団蔵で
この異名で呼ばれたのは五代目(1788-1845)。

芸がいぶし銀のように渋かったことからで、
六代目三遊亭円生は「目黒団蔵」と説明していますが
これは四代目団蔵(1745-1808)で、「渋団」の先代です。

噺に登場する初代仲蔵と同時代なら、この団蔵は
四代目が正しいことになるのですが……。

淀五郎・実録

実在の澤村淀五郎は、初代から三代目まで数えられますが、
三代目は、前記四代目団蔵が没した一ヵ月後に襲名して
いるので、もし四代目団蔵、初代仲蔵と同時代なら
明和3(1766)年に襲名した二代目ということになります。

忠臣蔵評判記「古今いろは談林」の安永8(1779)年
森田座の項に「盬冶判官 澤村淀五郎 大星由良之助
 市川團蔵」という記録があります。

また、三代目までのどの淀五郎にも、芝居茶屋のせがれという
記録はなく、これはフィクションでしょう。

仲蔵は二人いた!

同題の芸道噺(アップ済)に主役で登場します。
詳しくはその項をご参照ください。

初代仲蔵の生涯について興味のある方には、
松井今朝子の小説「仲蔵狂乱」(講談社文庫)
にヴィヴィッドに描かれていて、お勧めです。

ところで、同時代に同名の中村仲蔵が
もう一人、大坂にいて、やはり初代を名乗って
いました。

この人は屋号・姫路屋で通称・白万。実事を
得意とし、寛政9(1797)年に没しています。

以来、江戸・東京と上方にそれぞれ四代目までの
仲蔵が並立し、最後の「大阪仲蔵」が死去したのは
明治14年でした。

現在、仲蔵の名跡は、勘五郎から襲名した
五代目が1990年に死去して以来、空き名跡に
なっています。

なお、「仮名手本忠臣蔵」については、「四段目」
「中村仲蔵」をご参照ください。

江戸三座

市村座、中村座、森田座の江戸三座は
天保の改革で、天保13(1842)年、猿若町
(現・台東区浅草六丁目)に強制移転。

町名も、その時同時に付けられました。

|

« よいよい蕎麦(よいよいそば) 落語 | トップページ | ライオン 落語 »

落語のあらすじ 」カテゴリの記事

コメント

「淀五郎」を上方で演じはる師匠はどなたでしょう。最近買ったCDで、三代目林家染丸師匠の「淀五郎」を聞いて、流石に上方の大看板を背負った人、と感心も得心もしたのですが、現役では誰か演じていらっしゃるのでしょうか?

投稿: M.S. | 2015.01.18 16:09

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/60017/45475278

この記事へのトラックバック一覧です: 淀五郎(よどごろう) 落語:

« よいよい蕎麦(よいよいそば) 落語 | トップページ | ライオン 落語 »