« 花嫁の屁(はなよめのへ) 落語 | トップページ | 反魂香(はんごんこう) 落語 »

2009.06.01

囃子長屋(はやしながや) 落語

人心をかき立てる祭りにちなんだ噺。あらすじじゃ、つまらない。

ころは、明治。

本所林町のある長屋、
大家が祭り囃子マニアなので、
人呼んで「囃子長屋」。

何しろこの大家、十五の歳からあちらこちらの祭で、
頼まれて太鼓をたたき、そのご祝儀がたまりにたまって
長屋が建ったと自慢話しているくらい。

自然に囃子好きの人間しか越してこず、
年がら年中長屋中で囃子の話をしているほど。

大家の自慢は、この名が矢に越してくる人は、
商人なら表通りに見世を出す、大工なら棟梁になる
という具合に、みな出世すること。

神田祭が近づいたある日。

ここ七日間も囃子の練習と称して家に帰っていない八五郎が、
大家と祭り談義をしている。

「昔の(江戸時代の)祭りはりっぱだった。
今と心がけが違う。
江戸を繁華な町にするために、
町民からは税金を取らなかった。
その代わり、にぎやかな祭りをやって
将軍家を喜ばせようという……丸の内に将軍家の上覧場があって」
と、大家の回想は尽きない。

「山車(だし)を引き出して、ご上覧場へ繰り込む時は屋台だ。
スケテンテンテン、ステンガテンスケテケテン」

囃子の口まねをすると、止まらない。

「踊りの間は鎌倉。
ヒャイトーロ、ヒャトヒャララ、
チャンドンドンチャンドドドチャン……スケテンテンテンテテツクツ」
「くたびれるでしょう」
「大きなお世話だ。
祭りの話になると、口まねでも一囃子やらなきゃ、気がすまねえ」

すっかり当てられて家に帰った八五郎だが、
かみさんが
「いやんなっちまう。文明開化の明治ですよ。
古くさい祭り囃子のけいこするなんてトンチキはいませんよ」
と、腹立ちまぎれに神聖な祭りを侮辱したから、さあ納まらない。

「亭主をつかまえて、トンチキとはなんだ。
てめえはドンツクだ」
「何を言ってやがる。ドンチキメ、トンチキメ」

「何をッ」と十能を振り上げ
「ドンツクドンツクメ、ドンドンドロツク、ドンツクメ」

せがれが
「父ちゃん、あぶない。
七厘につまずくと火事になるよ。
父ちゃんちゃん、七輪。
チャンシチリン、チャンシチリン」
「トンチキメトンチキメ、トントントロチキトンチキメ」
「ドンツクメドンツクメ、ドンドンドロツクドンツクメ」

これを聞いた大家、
「ありがてえ、祭りが近づくと夫婦喧嘩まで囃子だ」
と、ご満悦。

トンチキメトンチキメ、ドンツクドンツクと太鼓も囃子もそろっているから、
ひとつこっちは笛で仲裁してやろうと、
しょうじを開けて
「まあいいやったら、まあいいやッ、マアイーマアイーマアイイヤッ」

【うんちく】

今輔二代の十八番

噺の内容から、明治初期に創作(または改作)
されたことは間違いありませんが、原話はもちろん
作者、江戸時代に先行作があったかどうかなど、
詳しい出自はまったく分かっていません。

三代目柳家小さんから、「代地の今輔」と呼ばれ、
音曲噺が得意だった三代目古今亭今輔
(1869-1924)が継承して十八番にしました。

三代目今輔は、小さんの預かり弟子でした。

その没後、しばらくとだえたのを、若き日に
三代目小さんに師事した五代目今輔(1898-1976)が、
1941年の襲名時に復活。以来没するまで、
しばしば高座に掛けました。

音源、速記とも、残っているのは今輔のもののみです。

この人が新作派の闘将として、昭和初期から戦後まで、
「ラーメン屋」「青空おばあさん」ほかの創作落語で
一世を風靡したのはご説明までもありません。

本所林町って?

現・墨田区立川一~三丁目。
「正直清兵衛」にも登場しました。

むろんこの噺では、「囃子」と掛けたダジャレです。

なお、歌舞伎の囃子方の控室を囃子町と呼び、
さらに囃子そのものも指すようになりました。

ただし、本所の方が「はやしちょう」なのに対し、
芝居のそれは「はやしまち」と読みます。

浮世は夢よ、ワイワイと囃せ

宝暦13(1763)年、軽快なテンポの葛西の馬鹿囃子が
山王祭に登場してから、しばらくはその「チャンチキチン」
のリズムが江戸の祭を席巻。

のち、それをより都会的に洗練した「スッテンテレツクツ」
の神田囃子が生まれました。

落語「宿屋の仇討」(アップ済)で仲間二人が

「源兵衛は色事師、色事師は源兵衛」

と囃したてるのがそれです。

神田祭・覚書

山王祭と並んで「天下祭」と呼ばれ、山車は
江戸城内までくり込むことを許されました。

延宝年間(1673~81)に幕府の命により、
両者交互に本祭、陰祭を隔年に行うようになりました。

神田祭は、旧幕時代は陰暦9月15日、
現在は5月12~16日です。

蛇足・夫婦げんかはお神楽で

五代目今輔は、著書「今輔の落語」の解説で
この噺は、六代目橘家円太郎(生没年不詳、
明治中期~昭和初期)に教わったと語り、さらに
自分の祭囃子は、鏡味小松から習ったため、
神田囃子で通した先々代(三代目)や円太郎と
違って、太神楽になっていると断っています。

もっとも、太神楽は江戸時代から現在まで
神田祭には先触れとして参加していますから
調子がお神楽でも、一向に不自然ではないでしょう。

太神楽の祭囃子は、「打ち込み」「屋台」「昇殿」
「鎌倉」「四丁目」「返り屋台」と続きます。
こちらは神田囃子より一時代前の、葛西囃子の
系統を引いているとか。

なお、六代目円太郎は音曲師でしたが、
昭和初期には落ちぶれて消息不明に。
したがって、今輔がこの人に教わったとすれば
大正末か昭和の始め、柳家小山三時代でしょう。

|

« 花嫁の屁(はなよめのへ) 落語 | トップページ | 反魂香(はんごんこう) 落語 »

落語のあらすじ 」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/60017/45200059

この記事へのトラックバック一覧です: 囃子長屋(はやしながや) 落語:

« 花嫁の屁(はなよめのへ) 落語 | トップページ | 反魂香(はんごんこう) 落語 »