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2009.06.17

万病円(まんびょうえん) 落語

亭金馬が「居酒屋」として独立・改作した噺もあります。

悪侍の行状記。

その1 湯屋にて

湯船の中で、自分の褌(ふんどし)ばかりか、女房の下袴まで堂々と洗濯。

ほかの客から番台に苦情が出て、湯銭をみんな返させられるので、
困ったおやじがおそるおそる抗議すると、
「きさまは番台で男客の○○や××を預かるか」
と、逆襲。

「アレは切り離せないから預かれない」
と言うと、
「正物は平気で湯につけているのに、
それを包む風呂敷である褌を洗うのが、なぜいけない」
と、屁理屈で逆ネジ。

帰りしなに、わざと五両中判を出し、
釣りを出せと無理難題。

まんまと湯銭を踏み倒す。

その2 居酒屋にて

肴をいろいろ聞いて、
番頭が
「あとは、蟹のようなもの」
と答えると
「じゃ、その『ようなもの』をくれ」

蛸も海老もゆでると赤くなると聞いて
「それじゃ、稲荷の鳥居はゆでたのか」
などとからかった挙げ句、
「どうだ、蟹代あんこう代鱈の四文なり
(=「紙代判行代でただの四文なり」という読売瓦版の売り立て文句)
というのは」
と、しゃれでケムにまき、
番頭がだまされて承知したのをタテに、
支払った代金は三品取って、酒代と合わせてたった八文。

文句を言うと
「値段を決めておいてそれが成らんとあれば主人を出せ。刀の手前、容赦はできん」
とすごんだ上、
「町奉行所に訴え出る」
と脅し、まんまと飲食代を踏み倒す。

その3 菓子屋にて

小僧をつかまえて、
「饅頭(まんじゅう)の蒸籠(じょうろう)の上で褌を干させろ」
と、無理難題。

金鍔(きんつば)を猫の糞、餡ころ餠を馬糞などと汚いことを言ってからかい、
小僧が、一つ四文の積もりで
「餡ころ餠はいくつ召しても四文で」
と言ったのを、あちこち食い散らして、都合十個食い、
「いくつ食っても、と言ったのだから全部で四文だ」
と、強弁。

「一つ四文ならなぜそう申さん。
フラチな奴だ。主人を出せ。らちが明かなければ裁判を」
と、コワモテ。

まんまと饅頭代を踏み倒す。

その4 古着屋にて

袷(あわせ)の綿入れの値段を聞くと、
掛け値なしの三両二分。

これを一分一朱に負けさせようとしたが、失敗。

サンピン、盗ッ人、団子、屁でもかげと、
親父の悪態を背に退散。

これで三勝一敗。

その5 神屋にて

例によって疫病神はあるが、
疱瘡神はどうだと攻撃をしかけ、
風の神はと聞くと
「ございます」

扇を出され、
「開かねば扇も風の蕾かな」
という句で、切り返される。

ここは薬も売っているのに目をつけ、もう一勝負。

万病の薬と張り紙があるので、
「病の数は四百四病と心得るが、万病とは大変に増えているな」
「子供の百日咳を入れると五百四病で」
「算盤を貸せ。五百四病だな」
「殿方の病で疝気(せんき)を入れると千五百四病」
「なるほど」
「ご婦人の産前産後もあれば、脚気肥満(=しまん、四万)もあります」

【うんちく】

「居酒屋」と共通の原話も

昭和から戦後では、三代目三遊亭金馬、六代目
三升家小勝がよく演じましたが、最近はあまり
高座に掛けられません。

各部分で原話が異なり、この噺が年代を経て
複数の小咄を積み重ね、合成されたことが分かります。

居酒屋のくだりは文化3(1806)年刊、十返舎一九・
作の滑稽本「噺の見世開」 中の「酒呑の横着」。

この部分は、昭和に入って、三代目金馬が
「居酒屋」として独立させて改作、大ヒットを
飛ばしました。(アップ済「居酒屋」参照)

古着屋・紙屋は上方落語「ないもん買い」からの
いただきで、原話はそれぞれ、安永5(1776)年刊
「立春噺大集」中の「通り一遍」および、
同2(1773)年刊「千年艸」中の「紙屋」。

最後の薬屋は、この噺の核で、貞享4(1687)年刊
「正直咄大鑑」中の「万病錦袋円」が最古。

その後、宝暦5(1755)年刊「口合恵宝袋」中の
「万病円」を経て、文化4(1807)年刊「按古於当世
第一」中の「もがりいいの侍」で侍のゆすりの
くだりが付け加わり、天保15(1844)年刊「往古噺の魁」
中の「ねぢ上戸」に至って、より現行に近づきました。

オチから古びた噺

明治29年3月、「侍の素見」と題した四代目橘家円喬の
速記がありますが、大筋は現行のものと変わりません。

サゲはいくつかのバージョンがあり、
近代のやり方では「一つで腸満(=兆万)」とする方が
一般的。

ただ、「腸満」という病名そのものが古めかしく、
通じなくなっているので、どっちもどっちでしょう。

万病円って?

実在した薬です。

解毒剤で、京都・室町の御香具所・植村和泉掾が
本家発売元。

江戸では、浅草茅町と京橋尾張町の
虎屋甚右衛門が委託販売していました。

五両中判って?

正しくは天保五両判金といい、天保8(1837)年から
安政2(1855)年までの18年間通用しました。

大判十両と小判一両の間です。
幕府の財政難から、貨幣「お吹き替え」の一環として
天保小判と同時に鋳造され、
翌年には天保大判も発行されました。

これらは粗悪な貨幣で、特に中判は純金の
含有割合が少なく、評判が悪かったため、
ほとんど流通しないまま終りました。

まあ、金貨には違いないので、二千円札よりはましでしょう。

あらすじは、明治29年の円喬の速記を参考にしましたが、
五両判のくだりがあることで、古い型を踏襲していることが
分かり、この噺の成立時期がおよそ見当が付きます。

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