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2009.06.30

両手に花(りょうてにはな) 落語

「阿武松」「四宿の屁」と並ぶ、板橋が舞台の噺。

明治の初めごろ。

元旗本の二男坊で、野呂井照雄という独り身の若さま。
といっても、歳はすでに三十五。

金はあるし,
男っぷりもいいしで、女にもててしかたがない。

この世に悩みなどないようなものだが、
ある日、
いやに深刻な顔をして、
昔から屋敷に出入りしている道具屋の半六のところへやって来る。

照雄の心配事というのが、
相思相愛になった女が二人いるので、
どちらを女房にしたらよいか
という、人もうらやむぜいたくなもの。

一人は、柳橋の芸者で、小伊代。

美人でよく気のつくしっかり者だ。

もう一人は、同じ旗本の娘で、お留。

両親も親類も死に絶え、
婆やと二人でひっそり暮らしている。

こちらは武家娘を絵に描いたように、
おとなしい世間知らず。

家が隣だったので、
照雄が何の気なしに遊びにいった時に
デキてしまったもので、
女房にしなければならない義理があるわけ。

「いったいどちらを」
と相談されたが、半六にもいい知恵はない。

ただ、本妻なら素人娘の方がいいだろう
と半六のかみさんが言うので、
照雄もその気になって、
小伊代のところに縁切りに行くが、どうしても言い出せない。

今度はお留のところに行くが、これも同じこと。

すごすご帰ってきたものの、このままではすまないため、
決心の果てに小伊代の家に舞い戻り
「別れてくれ」と切り出すと、泣かれるかと思ったら
「ええ、わかりました。あたしは夫を生涯持たず、
山奥で機織り女になって寂しく暮らします」

こうはっきり言われては、またも切るに切れなくなる。

こうなると、いやでもお留の方と話をつけなければならなくなったが、
こちらはこちらで思い詰めた顔をするので、
下手をして死なれでもしたらと思うと、切るに切れない。

半六に
「それなら、いっそ板橋の縁切り榎(えのき)にでも出かけていって、
どっちかがあなたを嫌いになってくれるように願を掛けてごらんなさい」
と言われ、照雄はわらにもすがる思いで板橋までやってくる。

縁切り榎は焼けてしまい、今では切り株しかないが、
その株を削って飲めば効果があるというので、
もらって紙に包んでいると、そこへひょっこり現れたのが小伊代。
続いて、婆やと二人連れのお留も。

三人、鉢合わせ。

「ああ、ありがたや。お留は小伊代と縁を切り、
小伊代はお留と縁を切って、二人とも僕を亭主にしたいから、
切り株を削っていたんだね」

照雄が感激すると、二人がいっしょに
「いいえ。あんたと縁が切りたいから」

【うんちく】

三遊亭円朝の異色作

円朝の創作で、基になった原話などは不明です。

円朝の速記は、「縁切り榎」の演題で明治23年2月、
落語・講談の速記専門雑誌「花筐」に掲載されたもので、
当人がマクラで断っているとおり、
「人情咄しと落し咄しの間の児」のような作です。

ついで、一門の二代目小円朝(当時初代金馬)が、明治33年
4月、円朝の死の四カ月前に雑誌「百花園」に載せた
速記があり、「両手に花」の題はこのときのものです。

その後、同門の初代円右が改作したといわれますが、
昭和に入ってからはまったくすたれました。

縁切り榎はダジャレから?

縁切り榎は、現・板橋区本町、旧中仙道板橋宿
上宿の岩の坂にあり、現在は区の史跡として
路上に三代目が現存しています。

「縁切り」は正しくは「えんぎり」と読みます。

いつのころ植えられたのか分かりませんが、枯れて
空洞になった初代の残骸も保存されているとのこと。

元は榎の傍らに槻(つき)の木がいっしょに立っていて、
二つ合わせて「エ(ン)がツキる」というダジャレから
縁起が始まったという、冗談のような話が伝わっています。

退避した将軍家ご正室

実際、この榎の魔力は凄かったらしく、
池波正太郎風に言うと、ものの本に、

「 世に男女の悪縁を離絶せんとするもの、この樹に
祈りて験あらずということなし。故に嫁娶の時は
其名を忌みて、其樹下をよこぎらず」

とあります。夫婦円満を念じる善男善女には
逆に恐怖の的で、文化6(1809)年、将軍世子・敏次郎
(のちの十二代将軍・家慶)に嫁した楽(さざ)の宮の
行列は榎を避けて迂回。十四代将軍・家茂に降嫁した
和宮の行列が通った時は、榎にコモをかぶせたとか。

朝廷や幕府の権威も、木一本にかなわなかったわけです。

縁切り榎の利用法は、単に祈るばかりでなく、
縁切りさせたい男女の年齢を絵馬に書き、
榎の根元に奉納したり、樹皮を茶や酒に混ぜて
飲むと、いっそう効果が上がったといいます。

江戸の「オカルト榎三兄弟」

縁切り榎と反対に、千駄ヶ谷にはかつて
「縁結び榎」がありました。つまり、磁石の
マイナスに対してプラスというわけ。

この二本の榎を合わせて「二大榎」とも呼ばれました。

さらに、同じ板橋区赤塚八丁目の松月院には
「乳房榎」があり、こちらはやはり円朝作の
同名の長講怪談噺に登場します。

この榎には、乳房の形をしたこぶがついていて、
そこからにじみ出す甘い露を、女の乳房の腫れ物に
塗ればたちどころに治るという、霊験あらたかなもの。

ただし、物語では、絵師・菱川重信の妻・おきせが、
夫を殺害した弟子・磯貝浪江と密通。

乳の腫れ物に苦しむおきせが乳房榎の露を塗ると、
快癒どころか天罰てきめん、ますます痛みが
激しくなり、狂乱して浪江の刃にかかる、
という応報譚でした。

現在、松月院境内には、由来碑とともに四代目の
乳房榎が現存しています。

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