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2009.06.15

松田加賀(まつだかが) 落語

一見歌舞伎の世話物かと思いきや、やっぱり落語でした。

「本郷も兼安(かねやす)までは江戸のうち」
とうたわれた、その本郷通りの雑踏で、
年端もいかない小僧按摩(あんま)が、同じ盲人に突き当たった。

こういう場合の常で、互いに杖をまさぐり合い、
相手は按摩の最高位である検校(けんぎょう)とわかったから、さあ大変。

相手は、公家や大名とも対等に話ができる身分。

がたがた震えて、
「ごめんくださいまし。ご無礼いたしました」
という謝罪の言葉が出てこず、ひたすらペコペコ頭を下げるだけ。

こやつ、平の按摩の分際であいさつもしない
と、検校、怒って杖で小坊主をめった打ち。

これから惣録屋敷に連れていき、おまえの師匠に掛け合う
と、大変な剣幕。

周りは十重二十重の野次馬。

「おい、年寄りの按摩さん。かわいそうじゃねえか。よしなよッ」
「なに、わしはただの按摩ではない。検校だ」
「それなら、家に帰ってボウフラでも食え」
「何だ?」
「金魚」
「金魚じゃない。けんぎょお」

大変な騒ぎになった。

そこへ通り合わせたのが、神道者で長年このあたりに住む、
松田加賀という男。

話を聞いて、自分が一つ口を聞いてやろうと、
「もしもし、そこな検校どの。
あなたに突き当たった小坊主、年がいかないから度を失って、
わびの言葉が出てこない。
仲人は時の氏神、と申します。
ここは私に任して、円く納まってはくださいますまいか」
と、丁重に持ちかけた。

検校は
「これはこれは、あなたは物のよくおわかりになる。
お任せはしましょうが、ご覧の通り、わたくしは晴眼の方とは違います。
あなたのお顔、なり形などは皆目わからない。
仲人をなさいますあなたさまの、お所お名前ぐらいは承りたい」
と言うので、加賀、
「これは失礼いたしました。私はこの本郷に住んでいる、松田加賀と申します」
と正直に返事をしたが、興奮が冷めない検校、
本郷のマツダをマエダと聞き違えて、これはすぐ近くに上屋敷がある、
加賀百万石のご太守と勘違い。

「加賀さま……うへえッ」
と、杖を放り捨ててその場に平伏。

加賀も、もう引っ込みがつかないから、威厳を作って
「いかにも加賀である」
「うへえーッ」
「検校、そちは身分のある者じゃな。
下々の者は哀れんでやれ。けんか口論は見苦しいぞ」

「へへー。前田侯のお通り先とも存じませず、ご無礼の段は平にお許しを」

検校がまだ這いつくばっている間に、加賀はさっさと先へ行くと、
「高天原に神留まりまします」
と、門付けの御祓いをやりはじめた。

そうとは知らない検校、
「ええ、以後は決して喧嘩口論はいたしません。
ご重役方にも、よろしくお取りなしのほどを」
と、さっきとは大違いで、ひたすらペコペコ。

野次馬連中、喜んでわっと笑うので、検校、膝をたたき
「さすがは百万石のお大名だ、たいしたお供揃え」

【うんちく】

元は「とんち噺」

原話は、安永4(1775)年刊の笑話本
「新落ばなし一のもり」中の「乗打」です。

これは、身分の低い盲人の配当が、
最高位の検校に乗打、つまり駕籠に乗ったまま
挨拶せずに行き過ぎたのをとがめられ、
難渋しているのを、通りすがりの神道者が
機転をきかせ、大名と偽って助けるというもので、
オチは現行と同じです。

これが落語化され、仲裁者を「頓知の藤兵衛」
という知恵者にし、藤兵衛が人助けでなく、
大名に化けて盲人二人をからかうという、
演じ方によってはあざとい内容になりました。

彦六が改題、洗練

明治から大正にかけて「頓智の藤兵衛」の題で
三代目小さんが得意にしていました。

戦後、しばらくすたれていたのを、
八代目林家正蔵(彦六)が原話に近い形に戻した上、
人情味を加味して、重厚な内容に仕上げました。

演題を「松田加賀」と変えたのも正蔵です。

正蔵はこの噺を若き日、私淑した円朝門下の
三遊一朝老人(1930年没)に教わっています。

「頓智の藤兵衛」で演じるときは、「前田加賀」との
洒落ができないため、当然、演出が大きく変わりますが、
現在、このやり方は継承されません。

速記、音源とも、残るのは正蔵のもののみですが、
その没後、1983年に現・三遊亭円窓が復活して
高座に掛けました。

按摩は杖にも階級

平按摩は普通の木の杖、
座頭は杖の上端に丸い把手が一つ、
匂頭は上端に横木が半分渡してある片撞木(かたしゅもく)、
検校になると完全に横木を渡したT字型の
撞木の塗杖を用いました。

検校(けんぎょう)って? 

盲人(按摩)の位は、衆分(平按摩)→座頭(ざとう)→
匂頭(こうとう)→別当→検校→総検校の順で、
検校の位を得るには、千両の金が必要でした。

衆分は上納金がまったく払えない者で、
市名(いちな)を名乗り、公式にはもみ療治、鍼医、
琵琶法師などの営業を許可されませんでした。

座頭になって初めて最下級の位がもらえ、
「一」か「城」の名を付けることができます。

したがって、勝新やビートたけしの「座頭市」
は厳密には誤り。「座頭一」でなければなりません。

検校に出世すると、紫衣を着て撞木杖を持ち、
高利貸などを営むことを許されました。

ヒエラルキーの頂点・総検校

検校の上が総検校です。

江戸中期までは、総検校は京都にいましたが、
元禄6(1693)年に鍼医の杉山検校和一が
五代将軍・綱吉の病を治したほうびに、
総検校の位と、本所に屋敷を拝領。
総検校から平按摩まで、すべての盲人の支配権を握りました。
この時が、総録屋敷の始まりです。

官位のための上納金は、「三味線栗毛」のあらすじにも
記しましたが、座頭が十両、匂頭で百両、検校で千両。

江戸の総検校→京都の公家・久我家→京都の総検校の
順に上納金が渡り、それぞれで中間搾取される仕組みに
なっていたわけです。

なお、神道者については「人形買い」をご参照ください。

本郷も兼安までは……

本郷は二、三丁目までは江戸御府内、
四丁目から先は郡部とされていました。

本郷三丁目の四丁目ギリギリにある
兼安小間物店は、売り物の赤い歯磨き粉と
堀部安兵衛自筆とされる看板で、界隈の名物でした。

もちろん、現在も健在です。

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