落語のあらすじ 

2008.06.24

指南書(しなんしょ) 落語

なかなかシャレた小品。こんな便利な書物があるといいんですが。

亭主の焼き餅が原因で、夫婦げんかが絶えない夫婦。

おやじが心配して、
檀那寺(菩提寺)の和尚さんにせがれを預け、
寺で精神修養させたところ、
その甲斐あって、だんだん人間が変わってきた。

その和尚が重病にかかり、いよいよという時、
若だんなに
「もう少しだけ、おまえには仕上がっていないところがある。
それが心残りだが、これを渡しておくので、
腹が立ったりした時は、どこでもこれを開いてみなさい」
と言い残して、息を引き取る。

その本の表紙には、「指南書」と書いてあった。

修行のせいか、若だんなの心も練れて、
それからは夫婦円満に暮らしていたが、
ある時、叔父さんのところへ五十両届ける用事ができる。

大金を持っているから、
道中話しかけてくる人間が、みんなうさんくさく見える。

「一緒にしゃべりながら行きましょう」
と近づいてくる男がいるので、
てっきりゴマノハエが金を狙ってきたのだと思って、
例の指南書を開いてみると、「旅は道づれ、世は情け」。

船着場から舟に乗ろうという時、
あと二人でいっぱいだという。

連れの男はぜひ乗ろうと勧めるが、
まだ指南書を開くと、「急がば回れ」。

そこで、無理して遠回りして歩いて行くと、急に激しい雨。

指南書を見ると、
「急がずば濡れざらましを旅人のあとより晴るる野路の村雨」
とあるので、雨宿りしていると、
なるほど、間もなく雨は上がった。

叔父さんの家に着くと、びっくりしたように
「どうやって来た」
と聞くので
「歩いてきました」
と答えると
「それがよかった。
さっきの夕立で渡し船がひっくり返り、
人が大勢死んだらしい」

驚いて浜に行ってみると、
最前の道連れの男の死骸も転がっている。

仏のお導きと胸をなで下ろし、
叔父さんが「一晩泊まっていけ」と言うのを、
女房が心配しているからと断って、
急いで家に帰ってみると、もう夜更け。

見ると、かみさんが男と一つ床。

かっとして、重ねておいて四つにと思ったが、
気を取り直してまた指南書を開けてみると「七度尋ねて人を疑え」。

女房を起こして
「おい、ここに寝ているのは誰だ」
「兄さんですよ。舟がひっくり返ったと聞いて、心配して来てくれたのさ」

次の朝、
義兄にわびを言って、土産の餅を皆で食べようとすると腐っている。

おかしいと思って、またまた指南書をひもとけば
「うまいものは宵に食え」

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品川の豆(しながわのまめ) 落語

バレ噺。こんなの、寄席では聴けません。

町内の若い衆がそろって品川の穴守稲荷に参拝して、
帰りに女郎買いに繰り込もうということになった。

ところが一人、新婚がいて、
かみさんにまだ遠慮があるから行きたくないが、
こういうのに限ってやっかみ半分、強制的に誘われるから断れない。

そこでかみさんに
「つきあいで品川に行くけど、見世には上がっても女とは遊ばない」
と誓い、後日の証拠に、自分の道具の先に左馬を書いてもらった。

遊ばなければ消えないワケだが、
ものの勢いというか、自分だけ花魁を買わない、ということはできない。

女房の手前、背を向けてじっとしてると、
花魁が、「あたしが嫌いかえ」となじる。

実はこうこうと話すと、
「かわいいねえ。そういうかわいい男にゃ、なお遊ばせたいよ。
心配せずにお遊びよ」
「だけど、左馬が消えちまう」
「そんなもの、後であたしが書き直してあげるよ」

帰って、亭主が
「ほら、この通り」
と前をまくって見せると、なるほど
まだ馬の字が書いてあるにはあるが、何だか変。

「少し大きくなってるねえ」
「そりゃそうだ。ゆんべ豆をくわせた」

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2008.06.17

自動車の布団(じどうしゃのふとん) 落語

大正期のお笑い。自動車が出てくるのに、古典落語とは驚きです。

大正中期、自動車があちこちで走り出し、
八人乗りバスも登場したころの話。

日曜日でも天気がよく、
新しい着物ができてきたばかりなので、
奥方は町に出て見せびらかしたくてたまらない。

そこで、亭主に、
しつこく芝居に行こう、上野か浅草に連れて行ってくれ
と、せがむが、この亭主、大変に嫉妬深いタチなので、
女房をほかの男が見るだけでもがまんならないから、
ああだこうだと言って渋る。

そこをむりやりに連れ出して、
乗合自動車(バス)に乗ると、満席だったが、
色白の役者のような男が、親切に席を譲ってくれた。

それを見て、亭主の顔がさっと青ざめる。

まだ乗ったばかりなのに、
車掌に無理に言って、奥方の手をひっつかむと降りてしまう。

家に戻ると
「おまえはけしからん女だ。今日限りおまえを離縁する」
と、申し渡したから、奥方は驚いた。

何も悪いことはしていない
と抗議すると
「なに、悪いことはしてない? ずうずうしい奴だ。
おまえ、さっき乗合自動車で会った若い男と間男しとるじゃないか」
「いったに何を証拠にそんなことをおっしゃいます」
「証拠はある。わからなければ、自動車の布団に聞いてみろ」

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2008.06.16

紫檀楼古木(したんろうふるき) 落語

渋い噺。古木の爺さんが妙にカッコいいですね。

ある冬の夕暮れ、薬研堀のさる家。

なかなかおつな年増で、
芸事ならば何でもいけるというご新造が、
女中一人と住んでいる。

「らおやーァ、きせるー」
と売り声がしたので出てみると、
ボロボロの半纏の袖口が
水っ洟でピカピカ光っている、汚い爺さん。

ちょうどご新造の煙管(きせる)が詰まっていたので、
女中が羅宇(らお)の交換を頼む。

いやに高慢ちきな態度で、
専門家の目で見ると趣味の悪い代物なのに、
金がかかっていることを自慢たらたらなので、
爺さんは嫌な気がしたが、仕事なのでしかたがない。

玄関先で煙管をすげ替えていると、
ご新造がそれを窓から見て、
あんな汚らしい爺を煙管に触れさせるのはイヤだ
と、文句を言う。

二人の、汚い汚いという言葉が聞こえてきたので、
爺さんはむっとして、代金を受け取る時、
これをご新造に取り次いでほしい
と、何か書いてある紙切れを渡した。

ご新造がそれを読んでみると
「牛若のご子孫なるかご新造の吾れを汚穢(むさ)し(=武蔵坊)と思いたまひて」
という、皮肉な狂歌。

だんなが狂歌をやるので、
自分も少しはたしなみがあるご新造。

「ふーん」
と感心して、矢立てでさらさらと
「弁慶と見たは僻(ひが)目かすげ替えの鋸もあり才槌もあり」
と、返歌をしたためて届けさせる。

それを爺さんが見て、またも、
「弁慶の腕にあらねど万力は煙管の首を抜くばかりなり 古木」
と、今度は署名入りの返歌をよこしたので、
その署名を見てご新造は仰天。

紫檀楼古木といえば、
だんなの狂歌の先生の、そのまた先生という、狂歌界の大名人。

元蔵前の大きな羅宇問屋の主人だったが、
番頭にだまされて店をつぶされ、
今は裏店(うらだな)に住んで、市中を羅宇のすげ替えに歩く身。

ご新造は、早速無礼を詫びて家に招き入れ、
とりあえず、お風邪でも召しては、と綿入れの羽織を差し出す。

古木、断って
「ご親切はありがたいが、私はこのこの荷物をこう担げば、
はおりゃー、着てるゥー(らおやー、きせるー)」

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2008.06.14

四宿の屁(ししゅくのへ) 落語

尾籠な小噺の寄せ集め。これだけ集めりゃ、におってきそうっす。

江戸時代、品川、新宿、千住、板橋の
四つの岡場所(非公認の遊廓)を四宿といい、
吉原についでにぎわったわけだが、
それぞれの女郎の特徴を、屁で表した小噺。

まず品川。

昼遊びで、
女郎が同衾中に布団のすそを足で持ち上げ、
スーッとすかし屁。

客が「寒い」と文句を言うと
「あそこの帆かけ舟をごらんなさいよ」
と、ごまかす。

そろそろ大丈夫と足を下ろすと、
とたんにプーンとにおう。

「うーん、今のは肥舟か」

次は新宿。

これも、女郎が布団の中で一発。

ごまかそうと
「今、地震じゃなかった?」

今度は千住。

女郎が客に酌をしようとしている時に、不慮の一発。

そばにいた若い衆が、自分が被ってやると、
客は正直さに免じて祝儀をくれる。

女郎があわてて
「今のは私」

最後に板橋。

ここは田舎出の女が多く、粗野で乱暴。

客が女郎に「屁をしたな」と文句を言うと、
女は居直って客の胸ぐらをつかみ
「屁をしたがどうした。もししゃばりやがったらタダはおかねえ」
と、脅す。

仰天して
「言わないからご勘弁を」
「きっと言わねえな」
と言うと
「それじゃ、もう一発。ブーッ」

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2008.06.13

地獄八景(じごくばっけい) 落語

上方では米朝のが有名ですが、これは明治の円遊ので。ほとんど同じ。

根岸でのんびり日を送る大店の隠居。

そこに、
隠居が最近ドイツの名医からもらったという「旅行薬」の噂を効いて、
源さんと八っつぁんの二人連れが訪ねてくる。

隠居が、この薬を飲めば、
一時間以内で好きなところへ行ってこられるから、
試しにどこかへ行ってみないかと言うので、
二人は渡りに舟と、地獄旅行としゃれ込む。

すっかり薬が回ると、
何だかスーッとしていい気持ち。

いつの間にか、だだっ広い野原にいる。

洋服を着た人が立っていて
「きさまらは新入りだな。自分はこの国の人民保護係だ」
と言う。

ここはシャバを去ること、八万億土の仇し野の原。

吹く風は無常の風、
ぬかるみの水は末期の水と名がつく。

役人が、
きさまらはシャバで罪を犯したので、
ここでザンゲをしなければならない
と言う。

まず源さんが
「えー、私は間男しました」

「とんでもねえ奴だ。相手はだれのかみさんだ」
「ここにいるこいつで」
「チクショー、こないだから変だと思った」

これで大喧嘩。

「八五郎、きさまは何をした」
「へえ、私は泥棒で」
「どこに入った」
「こいつのとこです」
というわけで、間男と差引。

もめながら三途の川まで来ると、
ショウヅカの婆さんが、当節地獄も文明開化で、
血の池は肥料会社に売却して埋め立て、
死出の山は公園に、といろいろ教えてくれる。

いよいよ、三途の川の渡し。

死に方で料金が違い、
心中だと二人で死んだから二四が八銭、
お産で死ねば三四十二銭という具合。

着いたのが閻魔の庁。

役人が一人一人呼び上げる。

「磐梯山破裂、押しつぶされー」
「ホオー」
「ノルマントン沈没、土左衛門」
「ヘイー」
「肺病、胃病、リューマチ、脚気」
「ヘイ」

全部中に通ると、罪の申し渡しがある。

有罪全員が集められ
「その方ら、いずれも極悪非道、針の山に送るべき奴なれど、
今日はお閻魔様の誕生日につき、
罪一等を減じ、人呑鬼に呑ませる。さよう心得ろ」

塩をかけて食われることになったが、
歯医者がいて、人呑鬼の歯をすっかり抜いちまったから、
しかたなく丸飲み。

腹の中で、みんなで、あちこちの筋を引っ張ったので、
さすがの人呑鬼もたまらず、トイレに行って全員下してしまった、
というところで気がつくと、いつの間にか元の根岸の家。

「どうだ、地獄を見てきたか」
「もし、ご隠居、あの薬の正体は何です」
「おまえらは腹から下されたから、あれは大王(大黄=下剤)の黒焼だ」

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地獄の学校(じごくのかっこう) 落語

なんとも不思議な。こんな学校、あっても行きたくないし。

深川六間堀に住む、紺屋の正直六兵衛。

昨夜、酔ったはずみで商売物の緑青を飲んでしまい、
気がついた時は、もう六道の辻。

道連れになった坊さんに、
極楽に行く道はどこか教えてくれ
と頼むと、
拙僧もよくわからない
と言う。

そこへ鬼がやってきて、
二人はたちまち閻魔大王の前に引き出される。

まず坊さんが、
シャバの行状を映しだす浄玻璃(じょうはり)の鏡にかけられると、
いや、悪行が映るわ映るわ、
朱の衣も何もきれいにほうり出し、
芸者を揚げて酒池肉林のドンチャン騒ぎ。

たちまち、地獄墜ちと決まった。

次は六兵衛の番。

震えて、
自分はシャバでは正直六兵衛と異名を取り、
嘘は一度もついたことがないから、
どうぞ、極楽へやってくれ
と頼むが
「黙れ。その方は紺屋。
紺屋のあさってと申し、染物がいつできますと
聞かれるといつもあさってと申す。
嘘ばかりついているではないか」

形勢が悪いところへ、十大王の一人が、
それは商売上しかたないので、
この者が悪いのではないし、
赤鬼や青鬼の服もだいぶ近ごろ色褪せてきているから、
紺屋が来たのを幸い、
これを染め替えさせよう、と助け船。

三日だけ地獄で仕事をすれば、極楽へ上げてやる
と言われて、六兵衛は大喜び。

その間にも、いろいろな亡者が来る。

ガラッ八という博打打ちが連れてこられ
「マゴマゴしゃあがると土手っ腹蹴破って鉄の棒を突っ通し、
鬼の漬け焼きをこしれえるぞ」
と啖呵を切って暴れるので、
鬼どもが怒ってぶち生かしてしまったりする騒ぎの後、
六兵衛は六道銭一枚もらって、
地獄の盛り場の賽の河原で遊んでこい
と言われ、喜んで地獄見物。

河原には芝居小屋や寄席が所狭しと並び、大賑わい。

死んだ名優や大真打ちがすべて出演している。

そのうち河原学校という看板が見えたので入っていくと、
子供がぞろぞろいて、先生は石の地蔵様。

地蔵が黒板に字を書いて、生徒に読ませる。

「そもそも地獄の数々は、一百三十六地獄、
あまねく人の聞き知るは、阿鼻獄、堕地獄、
阿鼻焦熱、熱鉄地獄修羅地獄、凍渇地獄針の山。
オーライ芸者の水転も、見る目嗅ぐ鼻拘引し、
処刑は拘留一週間」

カンカンと鐘が鳴り、授業終わり。

地蔵「無常の鐘が鳴ったから、枕飯にしよう」

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地口合わせ(じぐちあわせ) 落語

「おやじギャグ」なんてさげすまされちゃ、地口が泣きますね。

隠居が俳諧に凝っているというので、
遊びに行った八五郎が、
ぜひあなたの同類にしておくんなさい
と頼み、珍妙な句会が始まった。

隠居が雪の題で
「初雪やせめて雀の三里まで」
という通句があると言うと、八五郎が
「雀が三里灸をすえたんで?」

隠居「初雪や二の字二の字の下駄の跡」
八「初雪や一の字一の字一本歯の下駄の跡」
隠居「初雪や狭き庭にも風情ある」
八「初雪や他人の庭ではつまらない」

さらに八五郎が
「初雪や鉄道馬車の馬の足跡お椀八つかな」
「初雪や大坊主小坊主おぶさって
一緒に転んで頭の足跡お供えかな」
と、迷句を連発。

隠居が、
「おまえはおしゃべりだから、
俳句より地口(語呂合わせ)の方が向いている」
と言うと、八、
「これは得意だからまかしておくんなさい」
と、これまた自信作を次から次へ。

侍がフンドシを締めて
片手に大小、片手に団扇で飛び上がっていると、
下に据え風呂桶があって、その中から煙が出ている
という長ったらしい前置きで
「飛んで湯に入る夏の武士(飛んで火にいる夏の虫)」

爺さんが集会をしているところに雨が降って
「雨降ってジジかたまる」
とまあ、やりたい放題。

「今度は狂歌七度返しはどうだ」
と、隠居が言う。

「りんりんりんと咲いたる桃さくら
嵐につられ花はちり(散り)りん」
「りんりんりんと振ったるなぎなたを
一振り振れば首はちりりん」
「りんりんりんとりんごや桃を売っている
さも欲しそうに立ってキョロリン」
「山王の桜に去るが三下がり合の手と
手と手手と手と手と」
「トテテトテトテトテテテ」
「ラッパだね。手と手と手手と手と手と」

「トテトテテテトテト」
とやっていると、表から人が
「箔屋さんはこちらですか?」

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鹿政談(しかせいだん)  落語

鹿男あをによしの舞台。円生が大学でやったの、聴いたことあります。

奈良、春日大社の神の使いとされる鹿は、
特別に手厚く保護されていて、
たとえ過失でもこれを殺した者は、
男なら死罪、女子供なら石子詰め(石による生き埋め)
と、決まっている。

そのおかげで鹿どもはずうずうしくのさばり、
人家の台所に入り込んでは食い荒らすので、
町人は迷惑しているが、
ちょっとぶん殴っただけでも五貫文の罰金が科せられるため、
どうすることもできない。

興福寺東門前町の豆腐屋で、
正直六兵衛という男。

あだ名の通り、実直で親孝行の誉れ高い。

その日、いつものようにまだ夜が明けないうちに起き出し、
豆を挽いていると、戸口で何やら物音がする。

外に出てみると、
湯気の立ったキラズ(おから=卯の花)の樽がひっくり返され、
大きな犬が一匹、ごちそうさまも言わず、
高慢ちきな面で散らばった奴をピチャピチャ。

おのれ、大事な商売物を
と、六兵衛、
思わず頭に血がのぼり、
傍の薪ザッポで、思いざまぶんなぐった。

当たり所が悪かったか、
泥棒犬、それがこの世の別れ。

ところが、それが、暗闇でよく見えなかったのが不運で、
まさしく春日の神鹿。

根が正直者で抜けているから、
死骸の始末など思いも寄らず、
家族ともどもあらゆる気付け薬や宝丹、神薬を飲ませたが、
息を吹き返さない。

そのうち近所の人も起き出して大騒動になり、
六兵衛はたちまち高手小手にくくられて
目代(代官)の塚原出雲の屋敷に引っ立てられる。

すぐに目代と興福寺番僧・了全の連印で、
願書を奉行に提出、名奉行・根岸肥前守の取り調べとなる。

肥前守、六兵衛が正直者であることは調べがついているので、
なんとか助けてやろうと、
その方は他国の生まれであろうとか、
二、三日前から病気であったであろうなどと
助け船を出すのだが、六兵衛は
「お情けはありがたいが、私は子供のころからうそはつけない。
鹿を殺したに相違ござりまへんので、
どうか私をお仕置きにして、
残った老母や女房をよろしく願います」
と、答えるばかり。

困った奉行、
鹿の死骸を引き出させ
「うーん、鹿に似たるが、角がない。
これは犬に相違あるまい。一同どうじゃ」
「へえ、確かにこれは犬で」

ところが目代、
「これはお奉行さまのお言葉とも思われませぬ。
鹿は毎年春、若葉を食しますために弱って角を落とします。
これを落とし角と申し」
「だまれ。さようななことを心得ぬ奉行と思うか。
さほどに申すなら、出雲、了全、
その方ら二人を取り調べねば、相ならん」

二人が結託して幕府から下される三千石の鹿の餌料を着服し、
あまつさえそれを高利で貸し付けてボロ儲けしている
という訴えがある。

鹿は餌代を減らされ、ひもじくなって町へ下り、
町家の台所を荒らすのだから、神鹿といえど盗賊同然。
打ち殺しても苦しくない。

「たってとあらば、その方らの給料を調べようか」
と言われ、目代も坊主もグウの音も出ない。

「どうじゃ。これは犬か」
「サ、それは」
「鹿か」
「犬鹿チョウ」
「何を申しておる」

犬ならば、とがはないと、六兵衛はお解き放ち。

「これ、正直者のそちなれば、この度は切らず(きらず)にやるぞ。
あぶらげ(危なげ)のないうちに早く引き取れ」
「はい、マメで帰ります」

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2008.06.11

三人無筆(さんにんむひつ) 落語

柳派の噺。でも、時流にはなじまないかもしれませんね。

お出入り先の伊勢屋の隠居が死んだので、
その弔いの帳付け(参列者の記帳)を頼まれたのが
熊五郎と源兵衛の二人。

熊は字が書けないので、
恥をかくのは嫌だから、
どう切り抜けようかとかみさんに相談すると、
朝早く、源さんよりも先に寺に行って、
全部雑用を済ましておき、
その代わり書く方はみんな源さんに押しつけちまえばいい
と言う。

なるほど
と思って、言われた通り夜が明けるか明けないかのうちに
寺に着いてみると、
なんと、源さんがもう先に来ていて、
熊さんがするつもりだった通りの雑用を一切合切片づけていた。

源さんも同じ無筆で、
しかも同じことをかみさんに耳打ちされてきたわけ。

お互い役に立たないとわかってがっかりするが、
しかたがないので二人で示し合わせ、
隠居の遺言だからこの弔いは銘々付け(自分で名前を書く)と決まっている
と、仏に責任をおっかぶせてすまし込む。

ところが、おいおい無筆の連中が悔やみに来だすと、
ゴマかしがきかなくなってきた。

困っていると地獄に仏、
横町の手習いの師匠がやってきたので、
こっそりわけを話して頼み込み、
記帳を全部やってもらって、ヤレヤレ一件落着、
と、後片付けを始めたら、
遅刻した八五郎が息せききって飛び込んでくる。

悪いところへ悪い男が現れたもので、これも無筆。

頼みのお師匠さんは、帰ってしまって、もういない。

隠居の遺言で銘々付けだと言ったところで、
相手が無筆ではどうしようもない。

三人で頭を抱えていると、
源さんが
「そうだ。熊さん、おまえさんが弔いに来なかったことにしとこう」

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2007.03.18

三都三人絵師(さんとさんにんえし)

志ん生も時折やってました。愉快なネタですね。

江戸っ子の三人組が上方見物に来て、京の宿屋に泊まった。

その一人が寝過ごしているうちに、
ほかの二人はさっさと市中見物に出かけてしまって、
目覚めると誰もいない。

不実な奴らだと怒っていると、
隣から声が聞こえる。

大坂の者と京者らしい。

よく聞いてみると、
やれ鴨川の水は日本一で、江戸の水道はどぶ水だの、
関東の屁毛垂(へげたれ)だの、人種が下等だの
と、江戸の悪口ばかり。

さあ頭にきた江戸の兄さん、
威勢よく隣室へ乗り込む。

さんざん悪態をついたあと
「やい黒ん坊、てめえの商売は何だ」
「名前があるわ。わたいは大坂の絵師で、武斎ちゅうもんで」
「ムサイだあ? きたねえ面だからムサイたあよく付けた。やい青ンゾー、出ろ」
「うちは許してや」
「出ねえと引きずり出すぞ。てめえは何者だ」
「うちは西京の画工で俊斎」
「ジュンサイだあ?道理でヌルヌルした面だ」
「それであんたは?」「オレか?オレも絵師よ」

もちろん、大ウソ。

こうなればヤケクソで、
姓は日本、名は第一、江戸の日本第一大画伯たあ俺のことだ
と、大見得を切る。

そこで、三都の絵師がせっかく一所にそろったのだから、
ひとつ絵比べをしようじゃねえか
ということになった。

一人一両ずつ出し、一番いい絵を描いた者が三両取る
という寸法。

俊斎が先に、木こりがノコを持って木を挽く絵を描いた。

「やい青ンゾー、てめえとても絵師じゃあメシがくえねえから死んじまえ」
「どこが悪い」
「木こりが持つのはノコじゃねえ。ガガリってえもんだ。
それは勘弁してやるが、おが屑が描いてねえ」

これで、まず一両。

続いて武斎。

母親が子供に飯をくわせている図。

「やい、黒ん坊。てめえも絵師じゃ飯がくえねえが、
二人並んで首ィくくるのもみっともねえから、てめえは身を投げろ。
俺が後ろから突き飛ばしてやろう」

これは、継子ならともかく、
本当の子ならおっ母さんが口をアーンと開いてやってこそ
子供も安心してたべられる。

それなのに、母親が気取って口を結んでいるとはどういうわけだ
と、なるほどもっともなご託宣なので、
武斎も、しかたなく一両出す。

いよいよ今度は江戸っ子の番。

日本第一先生、もったいぶった顔で刷毛にたっぷり墨を含ませる。

ついでに二人の顔をパレット代わりに使い、
真っ黒けにしてから、画箋を隅から隅まで黒く塗りつぶし、

「さあわかったか」
「さっぱりわからん」

「てめえたちのようなトンマにゃ分かるめえ。
こいつはな、暗闇から牛を引きずり出すところだ」

【うんちく】

志ん生が復活した旅噺

この噺自体の原話は不明ですが、
長編の「三人旅」シリーズの終わりの部分、
「京見物(京阪見物)」の一部になっています。

三代目春風亭柳枝の明治26(1893)年の速記では
「京阪見物」として、「東男」と称する市内見物の部分の後、
「祇園会(祭)」の前にこの噺が挿入されています。

明治期にはほとんど「東男」や「祇園会」に
くっつけて演じられましたが、
二代目柳家小さんは、一席噺として速記を残しています。

その後すたれていたのを、
戦後、五代目古今亭志ん生が復活。
ただ、志ん生没後、ほとんど演じ手はいません。

青ンゾーって?

青ん蔵とも書きます。
ヒョロヒョロで顔が青いという印象で、
京都人を嘲っているわけです。

上方落語「三十石」でも、
船の中で大坂人が京都人を馬鹿にし、
「京は青物ばかり食ろうて往生(王城)の地や」
と言う場面があります。

語源は北関東訛りの「アオンゾ」もしくは
「アオンベイ」だといいます。

五代目志ん生は、
「てめえはつらが長えから、あご僧だ」
と言っていますが、これが志ん生の工夫なのか
単なる勘違いかはわかりません。

同じく大坂の絵師をののしる「黒ん坊」は、
芝居で舞台の介添えをする「黒子」のことです。

屁毛垂って?

ヘゲタレといいます。

逆に江戸っ子をののしる言葉ですが、
甲斐性なし、阿呆を指す上方言葉です。

江戸者に使う時は、屁ばかり垂れている
関東の野蛮人の意味と思われます。

ガガリって?

大型のノコギリのことで、ガカリとも呼びます。

用具に詳しいところから、
この「江戸はん」は大工と見られます。

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三で賽(さんでさい)

バクチのの噺。「看板のピン」という題でも聴きますね。

髪結いの亭主で、
自分は細々と人に小金を貸したりして暮らしている新兵衛という男。

死んだ親父はチョボ一の亀と異名を取った
名代のバクチ打ちだが、
親父の遺言で、決して手慰みはしてくれるな
と言われているので、身持ちは至って固い。

しかし、新兵衛がその実欲深でおめでたく、
かなりの金を貯め込んでいることを聞き込んだのが、
町内の札付きの遊び人、熊五郎と源兵衛。

ここは一つ、野郎をペテンにかけて、
金を洗いざらい巻き上げようと悪だみを練る。

二人は新兵衛に、
金持ちのだんな方が道楽にバクチを開帳するので、
テラ銭(場所代)ははずむから、
奥座敷を貸してほしいと持ちかける。

つい欲に目がくらんだ新兵衛、
承知してしまい、
臨月のかみさんをうまく言いくるめて実家に帰す。

熊と源は、仲間をだんな衆に化けさせて
当日新兵衛宅に乗り込み
「人数が足りないから、すまねえがおまえさん、
胴を取って(親になり、壺を振ること)くれ」
と持ちかけた。

親父がバクチ打ちなので、
胴元がもうかることくらいは百も承知の新兵衛、
またもう一つ欲が出て、
これも二つ返事で引き受ける。

ところが、二人が用意したのは、
三の目しか出ないイカサマ寨。

おかげで、たちまち新兵衛はスッテンテン。

その上、なれ合いげんかを仕組み、
そのすきに親父の形見の霊験あらたかな
「ウニコーロの寨」と全財産をかっつぁらって、
熊と源はドロン。

だまされたことに気づいた新兵衛だが、
もう後の祭り。

泣いていると、大家がやってくる。

「大家さん、三で寨を取られました」
「何、産で妻を取られた?」
「親父が遺言で、女房をもらっても
決してしちゃあいけないと言いましたが、
ついつい、熊さんの強飯にかかったんで(だまされたの意)」
「なに、もう強飯の支度にかかった?
そいつは手回しがいい。して、寺はどうした?」
「テラは源さんが持っていきました」

【うんちく】

ダジャレオチのバクチ噺

原話は不詳です。

明治29(1896)年の三代目柳家小さんの速記がありますが、
この噺自体は、小さん以後、ほとんど演じ手がありません。

ただ、本来この噺には、マクラとして
現在「看板のピン」と題する小咄がつきます。
これについては、そちらをご参照ください。

四代目小さんがこの「看板のピン」の部分を独立させ、
一席噺に改作したもので、
こちらは五代目小さんが継承、得意にしていました。

本体であるはずの「三で寨」がすたれたのは、
サゲがダジャレオチでくだらないのと、
ストーリーがややこしくて、すっきりしないところが
あるからなのでしょう。

わかりにくいオチ

居残り佐平次」のそれと同じく、
「だまされた」の意味の「おこわにかかる」を、
大家が葬式の強飯(こわめし=おこわ)と
勘違いしたものです。

チョボ一って?

一個のサイコロを使うので、こう呼びます。

勝てば四倍、場合によれば五倍にもなる
ギャンブル性の強いもので、
「チョボなら七里帰っても張れ」という、
バクチに誘い込むことわざもありました。

遊び人って?

博徒とゆすりかたりの両方を指しました。

とにかく「悪党」の代名詞です。

ウニコーロって?

「ウニコーロ」とはポルトガル語で、
北洋産のイルカに似た海獣とされます。

雄の門歯が一本に長く突き出しているので、
一角獣とも呼ばれます。

その牙で作ったのが、ウニコーロ(ウニコール)の寨です。

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2007.02.05

三助の遊び(さんすけのあそび) 落語

落語版「影武者」の噺。

上京して湯屋で釜焚きをしている男。

今日は釜が壊れて店が休みなので、
久しぶりにのんびりできると喜んだが、
常連客が次から次へとやってきて、
その度に
「今日は休みかい」
と聞かれるので、うるさくてしかたがない。

やむなく外をぶらついていると、
ばったり会ったのが知り合いの幇間の次郎八。

「どうせ暇なら、吉原でも繰り込もうじゃ、げえせんか」
と誘われるが、どうも気が進まない。

というのも、職業を明かすと女郎屋ではモテないから、
この間、素性を隠して友達と洲崎の遊廓に行ったら、
相棒が
「古木集めて金釘貯めて、それが売れたら豚を食う」
という、妙てけれんな都々逸をうたったため、
バレてしまって女郎に振られた苦い経験があるからだ。

それでも次郎八が
「あーたを質両替屋の若だんなという触れ込みで、
始終大見世遊びばかりなさっているから
『たまには小さな所で洒落に遊んでみたい』
とおっしゃっている、とごまかすから大丈夫」
というので、四円の予算だが、半信半疑でついて行くことにする。

「あたしのことは家来同然、次郎公と呼んでください」
と念を押されて、
さて吉原に来てみると、
客引きの牛太郎に
「だんなさまは、明日はお流し(居続けのこと)になりますか?」
と聞かれて
「いや、わしは流しはやりません」
と早くもボロが出そうになるので、次郎八はハラハラ。

危なっかしいのを、何とか次郎八がゴマかしているうち、
お引き(就寝)の時間になる。

当人は次郎八以上にハラハラ。

女郎同士が
「あの人はオツな人だけど、白木の三宝でひねりっぱなしはごめんだよ」
と話しているのを聞いて、
女郎屋の通言で、一晩きりはイヤだという意味なのを
、銭湯でご祝儀を白木の三宝に乗せて客が出すことと間違え、
バレたのではないかと心配したり
「炊き付けたって燃え上がるんじゃないよ」
と言うので、またビクビクしたりの連続。

これは
「おだてても調子に乗るな」という意味。

その度に次郎公、次郎公と起こされるので、
しまいには次郎八も頭に来て
「さっさと寝ちまいなさいッ」

しかたなく寝ることにして、
グーグー高いびきをかいていると花魁(おいらん)が入ってきて
「あら、ちょいと、お休みなの」
「はい、釜が損じて、早じまえでがんす」

【うんちく】

「盲小せん」から志ん生へ

原話は不明です。

明治中期までは、四代目三遊亭円生が得意にしていましたが、
現在残る古い速記は、明治34(1901)年7月、
「文藝倶楽部」に掲載の三代目柳家小さんのもの、
大正8(1919)年9月に出版された、初代柳家小せんの遺稿集
「廓ばなし小せん十八番」所収のものがあります。

戦後は、おそらく小せん直伝と思われる
五代目古今亭志ん生の一手専売でした。

明治の小さんでは、三助が吉原で振られて
洲崎遊郭へ行く設定で、したがって舞台は洲崎でした。

門下の小せんの演出では、本あらすじで採用したとおり、
反対に洲崎で振られて、吉原に行きます。

志ん生は、二度とも吉原で、
以前振られた原因となった都都逸の最後を
「これが売れたらにごり酒」
と、していました。

志ん生没後は、三助そのものが死語になり、
噺に登場する符丁などの説明が煩わしいためか、
演じ手はありません。

三助って?

湯屋の若い衆の異称でした。
使われだしたのは文化年間(1804-18)からです。

別に、下男の「権助」の別称だったこともあり、
下働きをするという意味の「おさんどん」から付いた言葉です。

やや皮肉と差別意識を含んだ「湯屋の番頭」
という別称も使われました。

同じ三助でも、釜焚きと流しははっきりと分かれており、
両方を兼ねることありません。

この噺の主人公は釜焚き専門です。

昭和初期に至るまで、東京の銭湯は越後出身の者が多く、
第36代横綱・羽黒山政司(1914-69)も、新潟県から出て、
両国の銭湯で流しの三助をやっているところを、
その体格が評判になり、立浪部屋にスカウトされています。

芝居では、現・市川猿之助が「三助政吉」として
三助を演じたことがありました。

洲崎遊廓って?

前身の深川遊廓は、現在の江東区深川・富岡八幡宮周辺で
「七場所」と称する岡場所を形成し、
吉原の「北廓」に対して「辰巳」として対抗しました。

文化・文政期には、「いなせ」と「きゃん」の本場として
通に愛されましたが、遊廓は天保の改革でお取りつぶし。

明治維新後、現在の江東区東陽一丁目が
埋め立て地として整地され、
明治21(1888)年7月、根津権現裏の岡場所がここに移転。
新たに洲崎の赤線地帯が生まれました。

最盛期には百六十軒の貸座敷、千七百人の娼婦、
三十五軒の引手茶屋がありました。

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猿丸太夫(さるまるだゆう) 落語

典型的な滑稽噺です。

昔の旅は命がけ。

友達と泣きの涙で水杯を交わし、
東海道を西に向かった男、
原宿の手前で雇った馬子(まご)が、俳句に凝っているというので、
江戸っ子ぶりを見せびらかしてやろうと、
オレは「今芭蕉」という俳句の宗匠だとホラを吹く。

そこで馬子が、
この間、立場の運座で「鉢たたき」という題が出て閉口したので、
一つやって見せてくれ
と、言い出す。

先生、出まかせに
「鉢たたきカッポレ一座の大陽気」
とやってケムに巻いたが、
今度は「くちなし」では、
と、しつこい。

「くちなしや鼻から下がすぐにあご」

だんだん怪しくなる。

すると、また馬子が、今度は難題。

春雨という題だが、
中仙道から板橋という結びで、
板か橋の字を詠み込まなくてはならない
と言うと、やっこさん、すまし顔で
「船板へくらいつきけり春の鮫」

「それはいかねえ。雨のことだ」
「雨が降ると鮫がよく出てくる」

。そうこうしているうちに、
馬子の被っている汚い手拭いが
プンプン臭ってくるのに閉口した今芭蕉先生、
新しいのを祝儀代わりにやると、
馬子は喜んで
「もうそろそろ馬を止めるだから、最後に紅葉で一句詠んでおくんなせえ」
と頼む。

しかたがないので
「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は来にけり」
と、聞いたような歌でごまかす。

そこへ向こうから朋輩の馬子が空馬を引いてきて
「作、どうした。新しい手拭いおっ被って。アマっ子にでももらったのか?」
「なに、馬の上にいる猿丸太夫にもらった」

【うんちく】

田舎者とあなどると……

原話は、宝暦5(1755)年刊、京都で刊行の笑話本
「口合恵宝袋」中の「高尾の歌」です。

これは、京の高尾へ紅葉狩りに行った男の話。

帰りに雇った駕籠かきに、歌を詠んだかと聞かれ、
「奥山の……」の歌でごまかす筋は、まったく同じで、
オチも同一です。

十返舎一九の「東海道中膝栗毛」でも、
箱根で「猿丸太夫」をめぐる、
そっくり同じようなやりとりがあり、
これをタネ本にしたことがわかります。

江戸や京大坂の者が、旅先で、
在所の百姓などを無知とあなどり、手痛い目にあう実話は
結構あったのでしょう。

サゲは、馬子が「奥山」の歌を知っていて
皮肉ったわけですが、
別に、知ったかぶりの江戸っ子を逆に「猿」と嘲る、
痛烈な風刺もあると思われます。

円朝も演じた噺

この噺の、江戸を出発するところ、
俳句の問答を除いた馬子とのくだりは、
「三人旅」にそっくりなので、
これを改作したものと思われます。

小咄だったのを、
「三人旅」から流用した発端を付け、
一席に独立させたものなのでしょう。

古くは三遊亭円朝が「道中の馬子」の題で速記を残し、
大正13(1924)年の、三代目柳家小さんの速記も残りますが、
今はすたれた噺です。

猿丸太夫って?

正体不明の歌人です。

生没年、伝記は一切不明。
「猿丸太夫集」なる歌集がありますが、
そこに採られている歌は、
当人の作と確認されたものは一つもありません。

「小倉百人一首」に、「奥山に」ほか
三首の歌が撰ばれていますが、これが実はすべて
「古今和歌集」の詠み人しらずの歌であることから、
平安時代の歌人といわれます。

別に、万葉の歌・柿本人麻呂説もあります。

運座(うんざ)って?

運座は、各人各題、あるいは一つの題について
俳句を作り、互選しあう会です。

座には宗匠、執筆(しっぴつ、=記録係)、
連衆(句の作り手)で成り立ちます。

18世紀末の安永・天明期以後、俳諧(俳句)人口は
全国的に広がり、同時に高尚さが薄れて遊芸化しました。

したがって、この噺のような馬子が
俳句に凝ることも、十分考えられたのです。

江戸後期の日本人の教養レベルは、
現在想像されるより、ずっと高かったわけです。

ただ、馬子などの肉体労働者は、
そのころは多く非識字者であるはずでした。

それが字を知っているばかりか、
江戸っ子よりはるかに博識であるという、
落語的な逆転の発想がみられます。

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